
西国三十三箇所霊場とは? どこかで聞いたことがあるけれど。。
西国三十三箇所とは
西国三十三箇所霊場は、近畿地方2府5県に点在する33の観音霊場を巡る巡礼路です。
「さいごくさんじゅうさんかしょれいじょう」と読みます。
簡単に言えば、観音様を祀る33のお寺を順番に(または自由に)お参りして回る、日本で最も古く、最も有名な巡礼の旅です。

四国八十八箇所(お遍路)と、何が違うの??
西国三十三箇所は日本の巡礼文化の「元祖」であり、四国八十八箇所(お遍路)はその影響を受けて成立した「後輩」です。どちらも日本を代表する巡礼路ですが、西国は「観音信仰」、四国は「弘法大師信仰」という違いがあります。
サークル活動として、まず近場でアクセスの良い歴史と文化財の宝庫 の西国三十三箇所から始めるのをおすすめします。その後、四国遍路に挑戦するという流れも、ステップアップでいかがでしょう。
⭐歴史的な流れ
西国三十三箇所(718年) ← 日本最古
↓ 影響
四国八十八箇所(平安〜鎌倉)
↓ 影響
坂東三十三箇所(鎌倉)
↓ 影響
秩父三十三箇所(室町)
いつから始まったの?
約1300年前の718年(養老2年)、長谷寺(奈良県)の徳道上人(とくどうしょうにん)という僧侶が開いたとされています。
伝説によれば、徳道上人が一度仮死状態になった際、閻魔(エンマ)大王から「世の中の悩み苦しむ人々を救うため、33箇所の観音霊場を巡るよう広めなさい」と33の宝印を授けました。それに従って巡礼路を定めたと言われています。
※この時授かった宝印が現在の「御朱印」のルーツとのこと。

その後、約270年間途絶えていましたが、花山法皇(かざんほうおう)が比叡山の僧らとともに各地を巡礼して巡礼の形を整えました。平安時代中期(988年頃)に復興させ、以降、庶民にも広まっていきました。
なぜ「三十三」箇所なのか?
観音様は、人々を救うために33種類の姿に変化すると仏教では説かれています。この33という数字が、霊場の数の由来となっています。
観音様(観音菩薩)とは? みんなが大好きな 優しさの塊。
観音様は、正式には「観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)」と言い、人々の苦しみの声を聞いて、すぐに助けてくださる仏様です。

西国三十三箇所では、各お寺によって異なる観音様が祀られています:
- 十一面観音(11の顔を持ち、あらゆる方向を見守る)
- 千手観音(千本の手で、多くの人を救う)
- 如意輪観音(願いを叶えてくれる)
- 聖観音(基本的な観音様の姿)
など、様々な形の観音様に出会えます。
観音菩薩は、仏教の中でも特に「慈悲(じひ)」という価値観を最も体現している存在 です。この「慈悲」こそが、観音様の本質であり、仏教の中心的な教えの一つです。
「慈悲」とは何か?
仏教における慈悲とは:
- 慈(じ):人々に幸せを与えたいと願う心
- 悲(ひ):人々の苦しみを取り除きたいと願う心
つまり、他者の幸せを願い、他者の苦しみを自分のことのように感じて救おうとする心です。これが観音菩薩の根本的な性格です。
観音菩薩の名前の意味
「観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)」の意味
- 観 : 見る、観察する
- 世音 : 世の中の人々の声(苦しみの声、助けを求める声)
- 菩薩 : 悟りを求めながら、人々を救う存在
つまり、「世の中の人々の苦しみの声を聞いて(観じて)、すぐに駆けつけて救ってくれる存在」という意味です。
WHERE? どこにあるのか?
どこにあるの?
近畿地方2府5県に広がっています:
- 和歌山県:3箇所
- 大阪府:4箇所
- 奈良県:3箇所
- 京都府:11箇所
- 滋賀県:6箇所
- 兵庫県:4箇所
- 岐阜県:1箇所(第33番のみ)
- 番外:3箇所
合計で36箇所(33箇所+番外3箇所)あります。
どうやって巡るの?
巡り方は自由です。以下のような方法があります:
- 第1番から順番に巡る(最も伝統的)
- 近くの札所から始める(現代的で実用的)
- 地域ごとにまとめて巡る(効率的)
- 好きなお寺だけを選んで巡る(自由スタイル)
昔は徒歩で何ヶ月もかけて巡礼しましたが、現代では車・電車・バスなどを使い、数年かけてゆっくり完結する人が多いです。
形無きモノを形に。。
各お寺では 御朱印(ごしゅいん) をいただけます。これは参拝の証で、お寺の名前や観音様の名前を墨で書いていただき、朱色の印を押してもらいます。

御朱印を集める帳面を納経帳(のうきょうちょう)または御朱印帳と言います。33箇所すべての御朱印が集まると、大きな達成感があります。
御詠歌(ごえいか)とは?
各札所には、その寺院の由来や観音様への祈りを詠んだ 和歌(御詠歌) が伝えられています。
例えば、第16番清水寺の御詠歌: 「松風や 音羽の滝の 清水を むすぶ心は 涼しかるらん」
このような和歌を味わうことで、古人の信仰心や文化に触れることができます。
結願(けちがん)とは?
33箇所すべてを巡り終えることを 「結願」または「満願」と言います。最後の第33番谷汲山(岐阜県)で満願を迎えるのが伝統的ですが、順番は自由なので、どの札所で結願しても構いません。
楽しみ方は ひとそれぞれ。。
信仰のためだけでなく、以下の理由で多くの人が巡礼を楽しんでいます:
- 歴史探訪:国宝・重要文化財の宝庫
- 健康ウォーキング:適度な運動と自然との触れ合い
- 観光:各地の名所・景勝地を訪ねる
- 御朱印集め:趣味としての楽しみ
- 心の癒し:日常を離れた静かな時間
宗教・信仰に関係なく、日本の歴史と文化を学ぶ旅として、誰でも気軽に楽しめるのが西国三十三箇所巡礼の魅力です。

DEEPに体験! 天皇・貴族から庶民まで—階層を超えた巡礼の道
平安時代、花山法皇は退位後に西国三十三箇所を巡り、途絶えていた巡礼路を復興させました。寵愛した女御の死を嘆き悲しんだ法皇は、出家して観音様に救いを求め、自ら険しい山道を歩いたと伝えられています。権力の頂点にいた人物が、一人の巡礼者として観音様の前にひれ伏した—この物語は、苦しみの前では誰もが平等であるという仏教の教えを体現しています。
また、紫式部は石山寺(第13番)に参籠し、琵琶湖に映る月を眺めながら『源氏物語』の着想を得たと言われています。平安貴族の女性たちにとって、西国の札所は単なる信仰の場ではなく、創作の霊感を得る場でもありました。
一方で、江戸時代になると、庶民の巡礼ブームが起こります。農民や商人が仕事の合間を縫って、時には数ヶ月かけて三十三箇所を歩きました。病気平癒、子授け、安産祈願、豊作祈願—人々のささやかだけれど切実な願いが、各札所の奉納額や絵馬、石碑として今も残されています。
御詠歌に込められた人々の想い
各札所には 御詠歌(ごえいか)という和歌が伝えられています。これは単なる文学作品ではなく、巡礼者が心に刻んできた祈りの言葉です。日本オリジナルの文学です。
例えば、第1番那智山青岸渡寺の御詠歌: 「補陀洛や 岸うつ波は 三熊野の 那智のお山に ひびく滝津瀬」
この歌は、那智の滝の轟音を「観音様の慈悲の声」として聞こうとする巡礼者の心を詠んでいます。
また、第16番清水寺の御詠歌: 「松風や 音羽の滝の 清水を むすぶ心は 涼しかるらん」
音羽の滝の清水を手ですくう行為が、観音様の恵みを受け取る象徴として表現されています。
これらの御詠歌を口ずさみながら参道を歩くとき、私たちは千年前の巡礼者と同じ言葉を唱え、同じ景色を見て、同じ想いを共有することができます。
縁起と伝説—庶民の願いが形になった物語
各札所には、観音様がいかに人々を救ってきたかという 縁起(えんぎ)や霊験譚(れいげんたん) が数多く残されています。
第5番葛井寺では、ある盲目の女性が千手観音様に祈り続けたところ、視力が回復したという伝説があります。この話が広まり、以来、眼病平癒を願う人々が全国から訪れるようになりました。
第24番中山寺は、安産祈願の観音様として知られています。豊臣秀吉が跡継ぎに恵まれず悩んでいたとき、この寺に祈願したところ、秀頼が誕生したという伝承があります。以来、皇室から庶民まで、妊婦とその家族が安産を願って参拝する伝統が今も続いています。
第22番総持寺には、山蔭流庖丁道の祖・藤原山蔭にまつわる話があります。千手観音様の霊験で亡き母が蘇ったという伝説から、この寺は「亀の恩返し伝説」とともに、料理人や板前が技術向上と安全を祈願する聖地となっています。
石段に刻まれた足跡、奉納物に残る祈り
札所を訪れると、参道の石段が長年の巡礼者の足で摩耗しているのに気づくでしょう。第8番長谷寺の399段の登廊、第31番長命寺の808段の石段—これらは無数の人々が一歩一歩、祈りながら登ってきた証です。
境内には、江戸時代から昭和まで、様々な時代の奉納額や絵馬、石灯籠が残されています。そこには「息子の病気が治りますように」「航海の安全を」「家族の無事を」といった庶民の切実な願いが記されています。
また、本堂には千羽鶴や願掛けの品々が今も奉納され続けています。1300年前から変わらず、人々は観音様に祈り、願い、感謝してきたのです。
歴史の追体験—過去と現在が交差する瞬間
西国三十三箇所を巡るということは、単に美しい寺院を見て回ることではありません。
花山法皇が歩いた同じ道を歩き、紫式部が眺めた同じ琵琶湖を眺め、江戸時代の農民が祈った同じ観音様の前に立つ—時空を超えて、先人たちと同じ体験を共有することができるのです。
手を合わせる瞬間、ふと「この場所で、何百年も前から、何万人もの人が同じように手を合わせてきたのだ」と気づくとき、私たちは単なる観光客ではなく、長い祈りの歴史の一部となっているのかもしれません。

